昭和初期に訪れたタイの要人
昭和16年(1941年)泰佛印紛争調停
この写真は、昭和16年3月11日タイ国首席全権ワンワイ・タイヤコン・ワラワン殿下が、タイ・佛印東京会談における調停の仮調印式に出席されるため、宿泊先である帝国ホテルから出かける寸前、当協会評議員であった倉田猛郎氏が同ホテルを訪れ、大楠公型兜を「勝って兜の緒を締めよ」と言う意味を込めて贈呈した時に撮影したものです。
昭和16年3月号の日本タイ協会会報によると、2月27日にワンワイ殿下他全権団一行の歓迎晩餐会を糖業会館で行っています。
昭和17年(1942年)泰と満州の話
この写真は、タイ国満州国駐在特命全権公使ヴィラ・ヴィラヨーター少将です。当時の日本タイ協会会報を調べてみますと、昭和17年8月号に、タイ国が、任満州国駐在特命全権公使としてヴィラ・ヴィラヨーター少将を任命したとの記載がありました。昭和17年10月号には、「新任タイ国駐満大使ヴィラヨーター少将は、8月20日東京駅発赴任した」と報告されております。
東京駅からどのようなルートで満州に赴任したのか。なぜ東京に立ち寄ったのかなどいろいろと知りたいことが出てくる話です。なお、この時のタイ国大使の任命は、満州国以外にイタリアとベルギーの大使が任命されておりました。
現在の駐日タイ大使公邸の庭には満州から送られた獅子像があります。この像の送り主は、この駐満大使なのかもしれません。
昭和18年(1943年)タイ国外務大臣来朝
8月8日歌舞伎座にて
8月11日当協会主催の園遊会小石川後楽園涵徳亭の写真と思われます。
この写真は、昭和18年(1943年)8月のタイ国外務大臣ウィチット・ワタカーン閣下の来朝の写真です。
当時の日本は、同年2月にガダルカナル島からの撤退を開始、快進撃を続けてきた日本軍に陰りが見えてきた時期で、今の時代から見ますと、当時のタイのピブーン首相が日本から距離を置き始めた頃ですが、昭和18年10月号の日本タイ協会会報を見ると、日本の盛大な歓迎ぶりとそれに答えるタイ国外務大臣の熱気が伝わってきます。
スケジュールを見ますと、8月3日から8月19日まで日本滞在。東京の宿泊は、帝国ホテルでした。
主な行事を見ますと、明治神宮参拝、靖国神社参拝、青木大東亜大臣主催晩餐会、天皇陛下謁見、海軍施設見学、日光観光、歌舞伎鑑賞など盛りだくさんですが、8月11日午後5時より当協会主催の園遊会が小石川後楽園涵徳亭にて開催されました。
外相一行は、8月19日、離京、満州国新京に向かって出発したとなっております。